前回、日本武道館において皇太子殿下ご夫妻(現、上皇上皇后両陛下)のご臨席を仰ぎ、1WKC(第1回世界剣道選手権大会)が世界から17カ国・地域の選手が参加して開催されたことを紹介しました。
1WKCには、作家で剣道五段の三島由紀夫は、1WKCの親善紅白試合に出場、台湾の剣士と試合し、互いに胴一本ずつ取って引き分けました。
意気軒昂たる剣士ぶりです。

[1WKCに出場する三島由紀夫(左端)]
全日本剣道連盟」HP→「第1回世界剣道選手権大会 記録映像」(全剣連公式YouTubeチャンネル)
しかし、1WKCの7ヶ月後「三島事件」が起こります。

[決起を呼びかける三島由紀夫]
皆さんこの「三島事件」をご存じでしょうか。三島事件は1970年(昭和45年)11月25日に起こりました。
54年前です。
三島由紀夫が、〝憲法改正〟を訴え陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛隊に決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件です。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監部を訪れ、当時の総監を人質とし、バルコニー前に自衛隊員約1,000人を集合させ、檄文をまく一方、憲法を改正して自衛隊を国軍とするためのクーデターを呼びかけました。
だが、隊員から激しくやじが飛び、演説はほとんど聞こえなかったとのことです。
午後0時15分ごろ三島は、同志の森田必勝とともに総監室内で割腹自殺しました。三島45歳の年です。
ノーベル文学賞候補とも目されていた三島が起こしたこの猟奇な行動は、国の内外に衝撃を与え、〝民主主義を否定〟し〝軍国主義を復活〟させるものであるとの警戒心を呼び起こしました。
日本国憲法は、1947年(昭和22年)5月3日に施行され、その第2章で「戦争の放棄」を掲げました。
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第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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三島は自衛隊がこの憲法9条に抵触するので改正する必要があると考えていました。
国民の多くは、この光景と三島とその同志の割腹自殺を目の当たりにして、「決して憲法を改正してはならぬ」と思ったことでしょう。
「日本国憲法第9条と自衛隊の関係」について、現在の解釈はこのようになっています。
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日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権を認みとめないことを定めていますが、これは、国として当然に保有している自衛権(外部からの攻撃があった場合に、国を守る権利)を否定するものではなく、自衛のための必要最小限度の武力を行使することは認められています。したがって、外国が武力を用いて攻撃してきた場合に、国を守るための必要最小限度の防衛力として自衛隊を持つことは、憲法第9条のもとでも認められています。
(防衛省HPより)
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私はその「1WKC」「三島事件」の年、1970年(昭和45年)に兵庫県警察巡査を拝命し警察学校で教育を受けていました。24歳の時です。
入校中、三島由起夫が憲法改正を訴えたこの事件に大いに違和感を覚えた記憶が鮮明に残っております。
警察学校の授業科目に「憲法」があり、その一文一文が納得のいくものであったからです。
「国民主権」「徹底した平和主義」「基本的人権の尊重」を基調に掲げた日本国憲法を押し戴いていました。
つづく